1: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 00:59:27.33 ID:tXFSBktpo

 その少女は事務所に足を踏み入れた途端、何かに驚いたような表情を浮かべた。

 しかし、彼女を案内していた男性がそれに気づくよりも早く、その顔は人なつっこい笑みに戻っている。

 男に促され、彼女は事務所内で待ち受けていた少女たちに挨拶した。

「自分、我那覇響! 今日からこの765プロにお世話になることになったから、よろしくね!」

 興味津々で見守っていた皆が、わっと沸き立つ。

 そうして、765プロは十二人目のアイドル候補生を迎えたのだった。






3: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:02:14.75 ID:tXFSBktpo

 パーティの途中で、社長が『後は皆で』と言い残して立ち去った後、八時を回ったところで年若い双子をプロデューサーが送っていくこととなった。

 新しい仲間を迎えての宴は、まだまだ続いているものの、大人たちが複数いる間に比べれば弛緩した空気が流れ始めた、そんな頃。
 パーティの主役であり、新たに765プロのアイドル候補生となった我那覇響が、ふと口を開いた。

「なあ」

 後ろでくくった長い髪を揺らし、彼女は誰にともなく語りかける。

「なんで、この事務所は化け物だらけなんだ?」

 しん、と部屋が静まりかえった。
 それまで笑いさんざめいていた少女たち全員がぴたりと会話をやめ、その姿勢のまま、視線だけを響に向けている。

「なあ」

 焦れたように響が呟く。

「すごいわね」

 傲然と胸を張り、髪をかきあげながら口を開いたのは、すでにデビュー済みのアイドルの一人、水瀬伊織。

 だが、どうしたことだろう。
 常は栗色の瞳が、赤茶けた暗く不吉な色に彩られているのは。

「初日で言い切るなんて。美希でさえ三日は様子見していたってのに」
「んー、響はユタの血が入ってるから。ミキとは鼻の利きが違うよ」
「へえ、そうなの。シャーマンの血筋……ね」

 離れたソファで寝転がっていた金髪の少女が上半身だけを起こしながら言うのに、伊織は口角を持ち上げる。

 起き上がった途端体にかかった金の髪を鬱陶しげに振るのは星井美希。
 その瞳もまた黄金に輝きだしている。


4: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:04:33.42 ID:tXFSBktpo

 しかし、星井美希と我那覇響は今日が初顔合わせではなかったか。
 まるで昔なじみのように彼女のことを語れるのはなぜだろう。

「それで?」

 美希と伊織の会話が途切れるのを待って、響は再び促す。
 待たされるのが嫌いなのか、その声音に、剣呑な色が乗っていた。

「響の言うとおり、この事務所は人じゃない者ばっかりだよ。普通の人間って言えるのは、プロデューサーと社長と、亜美真美だけだね」

 ボーイッシュな少女が明るい口調で説明する。
 彼女の名は菊地真。
 アイドルとしては『みんなの王子様』で売りだしている人物。

 彼女は肩をすくめて、言葉を続ける。

「誰がどんな出自かなんてのは、まあ、いずれわかるんじゃないかなあ」
「なんでそんな連中が群れてるんだ?」

「さて、それが不思議なところです」
「本当にねえ……」

 響の疑問に銀髪の女性は愉快そうに漏らし、事務服姿の女性は大きくため息を吐く。

 四条貴音に音無小鳥。
 片方は響と同じくアイドル候補生で、もう一方は、この事務所の事務員だ。

「あの人は昔からおかしなものを引き寄せがちだったんだけど、まさか、あの人が見出したプロデューサーさんが余計ひどい体質だなんて」
「んぅ? それって……」

「偶然ってことね、信じられないかもしれないけれど」

 小鳥の言葉に疑わしげに首をひねる響に、醒めた調子の声をかけるのは、如月千早。
 超然とした表情がよく似合う少女は、この事務所では最も売れているアイドルだ。


5: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:06:06.03 ID:tXFSBktpo

「本当? 美希」
「うん、本当だよ。ミキもびっくりしたんだけどね。誰かがなにかを狙って集めたんじゃないみたい。社長たちも裏とかないよ」

「そりゃ、嘘ついてる匂いはしなかったからなあ……」

 響の態度から、とげとげしいものが薄れていく。
 彼女は改めてそこにいる皆の顔を見回した。

「ふうん。そうかあ、面白いな。面白い。ところで、誰がボスなんだ?」

 ぴん、と空気が張り詰める。

 幾人かが目配せを交わそうとして、なにかを怖れるように慌てて目を伏せる。
 その中でにこにこ顔を崩さないリボンの少女が尋ねかけた。

「響ちゃんは誰だと思う?」

「うーん。三人までは絞ったんだけどなー」
「へえ?」

 春香が変わらぬ笑顔で促すのに、響は、視線を飛ばす。

「伊織か」

 まずは煌々と赤い光をその目に灯す少女へ。

「あずさか」

 次に、おっとりとした様子の女性、三浦あずさに。

「貴音だな」

 そして、最後に銀髪の貴音へと。

「すごいね、響ちゃん」
「でも、惜しいですー」

 感心したように漏らすのは、儚げな雰囲気を持った萩原雪歩。
 それに対して、胸の前に両拳を揃え、残念そうに漏らすのは高槻やよい。


6: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:07:09.40 ID:tXFSBktpo

「ありゃ、違った?」

「残念だけど」

 ずいと進み出て口を開いたのは、スーツの女性。
 マネージャー兼アシスタントプロデューサーという肩書きを持つ秋月律子だ。

「私たちは話し合いで物事を決めているの。だから、誰かがトップってわけではないのよ」
「ええ? そんなぬるいことで大丈夫なの?」

 響の仰天した声に、律子は怜悧な美貌をほころばせる。

「765プロは、芸能界をそのテリトリーとしている。この業界にまつわるヒト、モノ、カネは膨大なものよ。
一人が強権を振るうより、765全体が協調して縄張りの安全を守る方が有利に働くの」

「ふうん……」

 どこか納得できない風でありながら、響はひとまず頷いていた。
 新参が口を出して許される範囲がどこかくらいは、彼女も理解している様子だった。

「まあ、そんな話はやめて、パーティを続けませんか? その世界の話は……またいずれということで」

 あずさがそう言ったことで、空気ががらりと変わった。
 異様な色に輝いていた瞳はそれぞれ普段の黒や茶色に戻り、少女たちは外見相応の可愛らしい雰囲気を身に纏う。

 そうして、笑い声と歓声が響く宴は、随分と遅くまで続いたのだった。


7: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:08:36.14 ID:tXFSBktpo

 その数日後、事務所へ向かう途中、響はとある路地に目をやった。

 通りを行きすぎる人は誰も気にする者などないような細い道。

 彼女はしばらくその入り口を眺めるようにしていたが、ふらりとそこに入っていく。

 どうやら、ビルとビルの合間に、ぽっかりと開けた空間があるようだった。
 地上げをそこだけが免れたとかそういった場所だろう。
 東京にはたまにそんな場所がある。

 進むに連れ、怒号のようなものが聞こえて来た。
 道からはまるで聞こえなかったそれらの声に導かれるように進んだ先に、彼女がいた。

 ビルの合間から降る陽光に照らされて凛と立つその姿。

「あれ、人払いしておいたんだけど……って、なんだ、響か」

 そこが薄汚れた路地裏であろうと、まるで舞台の上であるかのように錯覚させるその人物が、響を振り返って驚いたような顔になる。

 彼女が表情を変えるだけで、それまでの張り詰めていた空気が一瞬にして変化するのはさすがと言えた。

 菊地真。

 響は改めてその名を口内で呟いた後、のんびりと尋ねかけた。

「んー、真。なにしてるんだ?」

 真の他に、そこにいるのは七人ほどの男性。格好はまちまちだが、いずれも荒んだ空気を漂わせている。
 ビルの壁を背にした真を緩やかに囲むような形だ。

「ちょっとしたトラブルだよ」
「ちょっとしたトラブル、ね」

「お前ら、ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ!」


8: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:10:17.65 ID:tXFSBktpo

 真と響が世間話のように気軽に話しているところに、男たちの一人が騒がしい声をたてる。

 どうやら、彼も、その他の男たちも、いきなりの響の出現に気を取られていたようだ。
 それまで真にあびせかけていた罵声や怒号を途切れさせていたらしい。

 その声に不愉快そうな視線を向ける響。

 だが、男たちは睨みつけてくる響の態度を嘲り笑うだけだった。
 少女一人が加勢に現れたくらい、どうとでもなると思っているのだろう。

 とはいえ、さすがに騒がれては厄介と思ったのか、男の内の一人が、じりじりと響に近づいている。
 逃亡を防ぐためであろう。

「自分がやろうか?」

 近づいてくる男をじろじろ見ながらそう言うのに、真が笑って手を振る。

「いや、必要無いよ」
「そうだぜお嬢ちゃん。こっちのオトコオンナを片付けた後でお相手してやるよ」
「オトコオンナって……。何度も言ってるけど、ボクは平和主義者なんだ。争わずに済ませたいんだけどな」

 そう言って真が男たち――やくざ者に向き直った途端。

「うるっせえんだよ!」

 男の一人が叫びと共に拳を振るった。

「問答無用かあ……」
「ぐっ」

 真に殴りかかった男が苦鳴をあげる。

 彼女がなにかをしたというわけではない。
 真はただその拳が襲い来るところからその体を移動させたにすぎない。
 
 空振りとなった拳を壁に叩きつけて自爆したのはあくまで男の方だ。


9: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:11:36.28 ID:tXFSBktpo

 だが、背後にビルを背負った相手を殴りつける時に気をつけぬ者がいるだろうか。
 避けられやすい頭部などを狙う愚を犯す者がいるだろうか。
 
 まして、男たちは暴力のプロフェッショナルであり、どこをどれだけ殴れば、人が音をあげるかをよく知っている。

 故に、この場所で彼は真の腹――大きく、動かしにくい場所――を狙い、突き上げるように拳を振るった。

 だが、その先に真の肉体はなかった。

 いつの間にか一歩横に移動していた真は、拳を痛めた男を同情するような視線で見つめていたのだった。

「なにやってやがる! ちゃんと囲め!」

 リーダーと思われる男の指示が飛んだ。
 拳を痛めた男はさらに怒りか興奮に顔を紅潮させて。他の面々はどこか楽しんでいるかのような下卑たにやにや笑いで。

 彼らは真との距離を詰め、彼女を中心とした半円をきっちりと形作る。
 リーダーと響を見張る男以外の五人に囲まれた真は、特に焦った様子もなく、自然体で立ったままだ。

「暴力は嫌いなんだってば……」
「すかしてんじゃねえぞ!」

 右端の男が、真の肩へ手を伸ばす。

 その体をがっちりと掴んで、出来ることならば引きずり倒すつもりであった。
 倒してしまえば、あとは皆で蹴りつければいいだけだ。
 
 だが、その指は真の体はおろか、衣服にもかすることはない。

 あるはずの抵抗がなかったためか、その男は前につんのめるようになった。
 バランスを崩した拍子に前に出た足を、真の足がひっかける。
 
 男は見事にすっ転んだ。

 しかも、隣の男を巻きこんで。


10: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:12:58.19 ID:tXFSBktpo

「へぇ……」

 響は真の動きをはっきりと目にして、そんな感嘆の声を漏らした。

 けして、目に留まらぬほど速いわけではない。

 ただ、彼女の体を掴もうとした男の動きより、わずかに速かっただけ。
 そして、男を転ばせたのも、タイミングを掴んだだけに過ぎない。

 もちろん、やくざたちは真の動きを観察したり、理解しようとしたりはしない。

 ただ、仲間が倒され、真を痛めつけるという目的をまるで果たせていないことだけが、意識にある。

「ね、もうやめようよ」

 真は転んだ男たちが起き上がるのを痛ましげに眺めながら、そんなことを言う。

 侮られているという屈辱が、男たちの頭にさらに血を上らせた。

「おるうぁあああ!」

 意味をなさない恫喝の声をあげながら、リーダーが囲みに割り入る。
 そして、その勢いのまま、真に殴りかかった。

 残った男たちがそれに応じて一斉に拳を繰り出し、蹴りを放った。
 稚拙ながら連携をとって、それぞれの拳や足が狙う場所も、それが真に届くタイミングもずらしつつ。

 逃れる場所は無いはずだった。

 どちらに避けようと、誰かの拳は当たる。
 誰かが体をとらえれば、そのまま抱きついてでも動きを止めてしまえばいい。

「よっ」

 軽い声と共に、真の姿が消える。
 男たちは、そのこと自体にも気づく暇はなかった。

 とん、と軽い音が背後でしたかと思うと、軽く押される力を背中に、あるいは腰に感じる男たち。

 彼らはそれによって自分の体のバランスが決定的に崩されたことも、
それをしたのが自分たちを飛び越えて背後に回った真であることも理解出来なかった。


11: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:14:02.31 ID:tXFSBktpo

 ただ、彼らはお互いが放った攻撃でお互いを打ち据えていた。

 痛みと驚きに身を退こうとする彼らの肩や尻を、またそっと押す手がある。

 腕と脚が絡み合い、シャツが肘に引っ張られ、首のチェーンに他の男の腕時計が巻きこまれた。

 見事に六人の男が絡み合い、慌ててもがけばもがくほど、彼らは自らの手足でがんじがらめになっていった。

「はいっ、と」

 そして、真の最後の一押しで、全員が一方に倒れる。
 良い音が次々して、壁が六つの頭を出迎えた。

 そのままずるずると力なく地面に崩れ落ちる男たち……が組み合わさった奇妙なオブジェのようなもの。

 真はしゃがみこみ、一人一人、意識はないが脈はあるのを確認して、ほっと息を吐いた。

「やるなあ。でも、真なら、もっと簡単に片付けられたんじゃないか?」
「やめてくれよ。本当にボクは暴力が嫌いなんだってば」

 響がからかうように言うのに、真は妙に情けない顔で応じる。

「ぐる……ぅ……ぐ……」

 響の横に立つ男の喉から、そんな籠もった音が漏れたのは、そんな時だった。

「ん?」

 真が目をやると、なにか苦しそうに上半身を折り、口元を押さえている。
 その押さえた手の間から、うなり声のようなものと一緒にだらだらと唾液が垂れ落ちていた。

「あれ? 響、もうその人やっちゃったの?」

 真の問いかけに、男のそばから飛び跳ねて離れながら、響が首をひねる。

「いや? 自分はなにもしてないんだけどな。おかしいな」


12: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:15:51.03 ID:tXFSBktpo

 びくん、と男の体が震える。
 その途端、男の背中がシャツを突き破りながら、大きなこぶのように盛り上がった。

「ありゃ?」

 次いで、腕にも脚にもこぶのようなものがぼこぼこと浮き上がり、それらがつながっていく。
 ついには以前の数倍の太さとなっていった。

 さらにはがくんがくんと関節が外れたかのような動きで、男の手足が、胴が伸びていく。

 この時点で衣服は全てちぎれ飛んでいるが、真と響が男の裸を見るような事態にはなっていない。
 なぜなら、彼の膚は針のように突き立った剛毛で覆われていたからだ。

 そして、男の体の脈動が終わった時、そこにいたのは二メートルを優に超える猿のような『なにか』だった。

 ゴリラのようにも見えるが、ゴリラは顔の半分以上もあるような巨大な牙を持っていない。
 なによりも、こんなにも下卑た光を目に宿してはいないだろう。

「ありゃりゃ、そっちは響のお仲間だったか」

 真が頭をかきかき言うのに、響が口を尖らせる。

「こんな『雑じり』と一緒にしないでよ。ひどいなあ」
「ごめんごめん。ボク、獣の民の知り合いは響と美希だけだからさ。よくわからないんだよ」
「ふん。まあ、いいけど」

 真と響が余裕を持って話しているのと同様、巨猿も特に急いで動くこともなく、にやにや笑いとしか見えない表情で二人をねめつけていた。

 おそらくは両者共自分の持つ力に自信があるからこその行動であろう。
 けれど、一方は人間の二倍以上ある体躯であるのに対し、一方は年若い少女たちである。

 その外見からすれば、響たちの落ち着きようは異様と言えた。

「こいつは自分に任せてくれるか?」
「んー。了解」


13: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:17:16.28 ID:tXFSBktpo

 響が舌なめずりでもしそうな口調で言うのに、真はひらひらと手を振って数歩下がる。

 ビルの壁にもたれかかって観戦する形となった真に見せつけるように、響はにやりと笑った。

 とんっ。

 それほど膝も曲げず、彼女は軽く飛び上がった。
 その跳躍が、まさか、巨猿の頭を越えるほどの高さに到達するとは。

「あ、飛びすぎた」

 響自身が言うように、それは少々高すぎた。
 巨猿のどこを攻撃するつもりだったとしても、滞空時間が長すぎる。
 
 当然、相手は響の体を捕まえようと手を伸ばす。
 毛むくじゃらの棍棒のような腕が、空中の小柄な少女に向かって振り上げられた。

「ぐっ」

 体をひねってよけても、巨猿の拳は、響の体をかすめた。
 直接に衝撃を受けずとも、ひっかけられた形で、彼女の体は先ほどよりさらに高い空中に放り出される。

「くぅっ」

 くるくると回りながら吹っ飛ばされる響の体。
 それがビルの壁に衝突したのを見て、真が声を上げた。

「響!」

 がっと伸びる手が、ビルの壁に走る配管の一本を掴んだ。
 そのまま弾かれて地に落ちそうな体を、片手で支える響。

「だ、大丈夫。油断しただけ!」
「本当かなあ……」

 明るい声を返してくる響に、真は懐疑の目を向ける。

 それはそうだろう。
 彼女はガスか何かの配管に手をかけて、ようやく壁にひっかかっているに過ぎないのだから。


14: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:18:44.16 ID:tXFSBktpo

 もちろん、その機を逃す巨猿ではない。
 響が無事に伝い降りる前にと、そいつは、拳を振るった。

「あんまり……」

 響のもう一方の手が配管にかかる。
 両手を支点に、体を跳ね上げる響。
 まるで体操選手さながらに、彼女の体は持ち上がり、きれいに伸びた。

「なめるなよっ!」

 鉄棒の要領で、響は巨大な拳を避ける。
 そのまま手を離し、勢いに乗って、彼女は巨猿の体の真ん前に落ちていく。

 彼女の背後で、ビルの壁にびしびしとひびが走り、何本もの配管がはがれ落ちていった。

「ぐわふ」

 響の動きを目で追った巨猿が奇妙な声をあげる。
 あるいはそれは、彼女を嘲笑う声だったのかもしれない。

 向こうからやってきてくれた響の体を、巨猿は抱き留めようとする。

 それは、一見成功したかに見えた。

 響の体は、巨猿の、これも毛だけらけの巨大な掌二つに覆われて、まるで見えなくなってしまっていたから。

 けれど、抱き留めているほうの巨猿がよろめくのはなぜだろう。
 その毛で覆われた顔が、ぼうと表情を失うのはなぜだろう。

「よいしょっと」

 軽い手つきで、響が巨猿の手を払い、二本のドラム缶のような腕がだらりとたれる。
 彼女は両腕が開くのにあわせて、音を立てて着地した。

 よく見れば、響の手に、なにかうごめくものが握られている。

 赤黒い液体を吐き出しながら脈動するそれに、真は目をむいた。

「それ、心臓?」


15: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:20:16.49 ID:tXFSBktpo

「うん」

 こともなげに言った響が、その手を握る。
 ぐしゃりとつぶれた心臓を、響は汚いものでも振り払うかのような手つきで地面に放り投げた。

「あれ、こいつ倒れないね」

 血に汚れた腕をハンカチでぬぐって、響は巨猿を見上げる。
 響の手刀によって心臓を抜き去られたそれは、動きを止めたまま突っ立っていた。

「ほっといてもいいのかなあ」

 巨猿は上を向き、口をぽかりと開けてだらだらと血泡混じりのよだれを垂れ流している状態だ。

 響が手刀の一撃で心臓を抜き取った胸は、分厚い筋肉が反射的に盛り上がっていたが、そこからも赤黒い血が流れ落ちている。

「まあ、いいか」

 彼女自身のような真性の獣の民ならばともかく、こんな血の薄れた相手なら、放っておけばその骸は人間のものに変じるだろう。
 そう判断して響は背を向けた。

 血に汚れたハンカチを惜しそうに見つめた後でそこに放り投げ、真の方に向かおうとする。

 だが、その時、真は見た。

「危ない!」

 自らの声を置き去りにするほどの勢いで真は走る。

 彼女が響を抱き留めたところで、それが襲いかかってきた。

「がっ!」
「ま、真!」

 真に覆い被さられるような形になった響が悲鳴のようにその名を呼ぶ。

 彼女の目からは、自分を守るように抱いている真のさらに向こうに、毛むくじゃらの巨大な猿がのしかかるようにしているのが見えた。


16: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:21:32.64 ID:tXFSBktpo

「なんで……!」

 動くはずがない。

 動けるはずがない。

 この手で心臓を握りつぶしたはずの相手が、真の背を滅多打ちになどできるはずがない。

 だが、実際には巨猿は顔自体をどこかあらぬ方に向けたまま、真の背にその手のかぎ爪を打ち付けているのだった。

 その鋭く汚らしい爪が真の背を打つ度、鮮血が飛び、響にまで衝撃が届く。

「だい……じょうぶ、さ。ちょっと……待ってて」

 言い置いて、真はその腕に力を込める。
 そのまま、放り投げられる響。

 地面の上を滑るようにして勢いを殺しながら、彼女は叫んだ。

「真!」

 その呼びかけににっこりと笑って、真は巨猿に向き直る。
 相手の攻撃は勢いだけはすさまじいものの単調なもので、響を抱えていない真はそれを軽やかによけていた。

 ただし、舞うように動く度に、背中からはおびただしい血が流れて地面を汚している。

「さすがに、これだけやられたら、お返ししないとね」

 真はすいすいと太い腕の来襲を避けながら、巨猿に接近する。
 獣臭がつんと鼻をつくほど近づいたところで、彼女はおもむろに足を止めた。

「はっ! せいっ!」

 正拳突きの二連撃。

 ただそれだけにしか見えない打撃が、巨猿の動きを止めた。

 その腰のあたり……打撃を受けた下腹のちょうど反対側が、音を立てて裂ける。
 そこから飛び出すのは、血と臓物と汚物の入り交じった液体。

 笛のような音がする。

 それは巨猿の喉から漏れる空気の音であった。


17: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:22:42.63 ID:tXFSBktpo

 それですべての活力をはき出してしまったかのように、巨猿は、どろどろの臓物の上へと倒れ込む。

 血だまりの中でひくひくとうごめきながら縮んでいく、その体。

 裸の人間へと変じていくその様子をにらみつけながら、響が呟く。

「なんで、こいつ……」
「最近、人以外に向けた薬が流行ってるらしくてね。人間の麻薬でも痛みを感じさせないのがあるだろ? あれよりさらにひどいらしいよ」
「死んだことも忘れるくらい、か」
「そ。困ったものだよね。ボクたち765プロはそれをなんとか根絶したいもんだから、トラブルになってるってわけ。ま、それだけでもないけど……」

 小さく肩をすくめ、それで痛みが走ったか、思い出したように真は顔をしかめる。

「しかし、困ったな。結構やられちゃった」
「ごめん。自分がもっと気をつけてれば」
「いいよいいよ。ボクも気を抜いてたし」

 素直に頭を下げる響に、真はぱたぱたと手を振って見せる。
 そこで、彼女はなにか思いついたかのように響を見つめた。

「それより、響。一つ頼みがあるんだけど」
「うん。なんだ? 事務所までひとっ走りして、新しい服を取ってこようか?」

 いや、それはいいよ、と真は言った。

「それより、ボクを殺してくれない?」
「……は?」

「たとえば、心臓を一突きとかで。さっきみたいに」

 声も出ない響をよそに、真は説明を続ける。

「それでボクの力もわかると思うから。どう?」


18: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:24:18.46 ID:tXFSBktpo

「いいんだな?」

 どうやら本気らしいと判断した響が、獰猛な顔つきて確認する。
 それに対して、真はさわやかな笑顔で応じるのだった。

「うん。出来れば、こう、さくっと。あ、心臓抜いちゃうのはやめてね」
「う、うん」

 言われるままに真の正面に近づき、その胸に手刀を作って当てる響。

 彼女が力を込める仕草をすると、その手刀が消えた。

 再び視認できるようになった時、すでに響はその手を振って、真の血を払っている。

 巨猿の時のように腕自体を血に汚すこともなく、彼女は相手の心臓を突き破ったようであった。

 ごふ、と真が咳き込む。
 その唇の端からつうと一筋血が滴った。

「じゅう……いや、ご、五分……待っててくれたら……いい……から……」

 膝から地面に崩れ落ちながら、彼女が言う。
 そのまま、ぱたりと地面に倒れ伏してしまった。

 響はそれを不安そうな目つきで眺めていた。

 真に初めて会ってから、数日。

 信頼するにはまだ時間が足りない。
 だが、いきなり命を奪ってなにも感じぬほど薄い間柄でもない。

 まして、響は、表向きは無関係ながら実際には幼なじみと言っていい美希から、事前に765プロメンバーの為人を聞いている。

 このまま死なれては少々居心地が悪かった。

 だから、なにが起こるか、彼女は見逃さぬようにしていたのだ。

 真は地面に倒れている。

 上半身の衣服はぼろぼろに破られていて、ブ○ジャーもはずれかけているように見える。
 なにより、上も下も真自身が流した血ですっかり汚れていた。


19: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/01/30(水) 01:26:22.26 ID:tXFSBktpo

 だが、それが徐々に消えていく。

「……え?」

 すっかり血が染みこんでいたショートパンツも、絞れるほどぐっしょりと濡れていたはずのシャツも、だんだんと血が抜けていく。
 それどころか、繊維がより合わさって、破れていたはずのものが直って行くではないか。

 まるで時間を巻き戻すかのようなその様子に、さすがの響も目を見張った。

 元の姿を取り戻していこうとするシャツの下で、真の引き締まった肉に刻まれた爪痕にも肉が盛り上がる。
 さらには、血が吸収されていき、皮膚が再生し、元通りの張りのある膚を取り戻そうとしている。

 真が指定した五分が経過する頃には、彼女は響がこの路地に入ってきた時と同じ、普段通りの姿に戻っていた。

 そうして、まるで眠りから目覚めるようにむくりと起き上がった真は、自分の体をぼうっと見下ろして、小さく呟いた。

「ちぇっ。また死ねなかったか」

 さっと立ち上がり、服についた汚れをぱんぱんとはたき落とす。

 そうすると、もはや先ほどまでの戦いを思わせるものは、外見上、どこにもない。

「……不死なんだ」
「いや、違うよ? ボクはただ蘇るだけ。身につけていたものまで戻るのは便利だけどね。でも、小鳥さんみたいに『死なない』のとはちょっと違うかな」
「あの人は、不死?」
「うん。不老不死。もう五〇〇年くらい生きてるんじゃなかったかな。あれ、八〇〇年だっけ? まあ、そんなとこ」

 小首を傾げてそんなことを言う真に、響はひゅっと小さな息を吐く。

 それが、ただ驚きを示すものであったか、あるいはさらに別の感情を含んだものであるかは、響本人にもよくわからなかった。


25: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/03(日) 00:06:20.67 ID:vEIeRpyno

 765プロの入るビルの屋上。

 響は手すりに手を置いて、中天にかかる月を見上げていた。

 片手を伸ばし、つま先立ちになって、空にかかる月に指を伸ばす。

 届くわけがない。
 だが、なにかを掴みそうな気がして、彼女はそれを繰り返す。

 そんなことをしていた響がくるりと振り向き、背を手すりに寄りかからせた。

「あ、ようやく来てくれた」

 嬉しそうに笑うその視線の先。
 階下から上ってくる階段の出口に揺れる銀の髪があった。

「ああも毎日、殺気を向けられれば、それはもう」

 貴音は、神秘的と表現されることも多い美しい顔に微笑みを乗せてそう答える。
 しずしずと歩み寄る彼女を、響はじっと見つめていた。

「伊織とあずさは手応えなしだったぞ」
「伊織は文字通りの姫君ですからね。それに、あずさは流れる水のような人物。腕試しなど興味はないのでしょう」

 響まであと十歩、というところで、貴音は歩みを止める。

「で、貴音はあるのか?」
「いえ、わたくしも単純な腕試しなどは興味ありません」

 貴音の笑みが深くなる。
 それと共に、彼女の纏う雰囲気が明らかに変わった。

「なれど、響は納得していない様子。765の結束を乱す傷となりかねないものを放置するわけにもいかないでしょう」

 銀の髪がまるで意志をもっているかのようにうねくる。
 その表面が硬質の、まるで金属であるかのような光沢を帯び始めていた。


26: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/03(日) 00:08:13.39 ID:vEIeRpyno

「納得してないわけじゃないんだけどなあ」
「では、なにを?」

 髪の輝きが増すと共に、瞳にも同じ色が宿る。
 人には有らざる銀の光が、瞳を覆い尽くしていく。

「みんなの実力が知りたいだけ。好奇心」
「それは、より性質が悪いというもの。やはり、わたくしが諭さねばなりませんね」

 にぃ、と響の口角が持ち上がる。
 どこかへ走り出しそうな前傾姿勢になりながら、彼女は貴音を挑発するように呟いた。

「へえ。自分を『教育』するつもり?」
「まあ、そう言ってもよいでしょう」
「へへっ。それは腕が鳴るなあ」

「以前に律子嬢が申し上げたとおり、765プロは、芸能界全体をその版図としております。それを狙う者たちは多く、悪さをしでかす内部の不届き者も多い」
「だから?」
「それらの潜在的な敵に、765が弱まったなどと思われてはならないのですよ」

 ざわり、と響のくくった髪が揺れた。
 その途端、ばねがはじけるように駆け出す響。

 十歩を一瞬で埋め、その手が貴音へと走る。

「だから、自分が序列をつけようとするのを邪魔するわけだっ!」
「その通り」

 すい、と貴音の体が遠ざかる。まるで足を使わない、浮き上がるかのようなその動き。

 空振りとなった響の手刀が、銀の軌跡を描き出した。

 それは、白銀の毛皮をまとったその腕のため。
 長く鋭い爪を備えたそれを、響は見せびらかすかのように振った。


27: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/03(日) 00:09:30.89 ID:vEIeRpyno

「ほう、腕だけの獣化ですか」
「別にどこだってできるよ、こんなの」
「なかなか制御が難しいと聞きましたが」
「血が薄い半端者はね。自分たちには造作もないことだよ」

 軽い会話を二人は交わす。

 だが、その一方で、その目はお互いの動きを確実に捉えている。

 響が地を蹴ろうとするかのように膝を曲げれば、貴音の肩がそれを迎撃する腕の動きを予想させる。

 二人の脳内では、すでに何回となく彼女たちは打ち合っている。

 意識が向けば、体もわずかに動く。

 その動作の前段階となる動きを読み取って、響は違う動きを取ろうとする。
 貴音はその動きに合わせて、新たなきっかけを生み出し、迎える準備をする。
 響はそれに牽制を混ぜ、貴音は、それをつぶすだけの動きを見せて……。

 そんなやりとりを彼女たちは繰り返していた。

 端で見れば、ただ軽口をたたき合っているだけに見えても、実際の戦いはすでに始まっているのだ。


28: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/03(日) 00:12:16.66 ID:vEIeRpyno

「なあ、貴音、自分の名前を知ってるか?」
「我那覇響、ですよね?」

「違うよ。そんなヒトのための名前じゃない。本当の名前さ。自分は、『風のゆくえを教える者』」

 貴音がそれになにか応じる前に、響の姿はその視界から消えている。

「誰よりも、風よりも、自分は早い!」

 一瞬にして後ろに回った響が突き出した手刀が、貴音の背を貫く。

 背後から心臓を貫かれ、月を見上げて目を見開くしかない、貴音。

 美しいその体が響の腕に串刺しにされ持ち上げられているその光景は、ある種幻想的な雰囲気すら漂わせていた。


 見ている者は月だけしかいなかったとしても。


29: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/03(日) 00:13:45.94 ID:vEIeRpyno

 手応えは、あった。

 だが、それは肉のものではない。

「なっ」

 驚きの声を上げる響の目の前で、貴音の体がはらはらとほどけていった。

 薔薇の花びらが、かぐわしい香りをまき散らしながら、舞い落ちる。
 それは、先ほどまでたしかに貴音の体であったはずのものだ。

 だが、いまはただ、響の腕をすり抜けて、幾百幾千の花びらが落ちていく。

「くっ」

 腕を引き、あたりに視線を飛ばしたところで、彼女の体は地面に打ち付けられていた。

 それが、頭上から襲い来たった貴音によるものだと気づいた時は後の祭り。

 貴音の体からは考えられないとんでもない力で押さえつけられて、響はうめき声をあげた。

「一ついいことをお教えしましょう」

 そう呟く貴音の背に、なにかが浮かんでいる。
 空間に張り付いているとも見えるそれは、あえて表現するなら、血色の闇だ。

 厚さをまるでもたず、空間が断裂したようにも見えるそれが、貴音の持つ『翼』であると、誰がわかるだろう。

「……なに?」

 響がそう応じる頃には、貴音の『翼』は消えていた。

 しかし、彼女は響の足を踏みつけ、その腕をひねりあげて、動きを封じ続けている。

「我々はあえて序列はつけてはいません。つけてはいませんが……」

 体を折り曲げ、響の耳元にその口を近づける貴音。
 暖かな吐息が、響のうなじをくすぐった。


30: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/03(日) 00:14:48.45 ID:vEIeRpyno

「仮に序列を設けるなら、わたくしはようやく五指に入るかというところなのですよ、響」

「ははっ」

 その言葉の意味を理解した時、響は疲れたような笑い声をあげていた。

「自分の鼻までごまかせるのが二人もいるんだ。そりゃ……参った」

 貴音の締め付けに抗する力が抜け、べったりとコンクリートの地面にほおをつける響。

 その顔には、なにか吹っ切れたような表情が宿っていた。


31: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/03(日) 00:15:49.65 ID:vEIeRpyno

「はーい、カット!」

 かけ声から一拍挟んで、セット内の貴音と響の元に撮影スタッフが駆け寄っていく。

 カメラ周りでは律子が監督と語り合い、すでに出番が終わった真たちが口々に感想を言い合う。

「お疲れ様でしたー」
「はい、おつかれですー」
「ワイヤー外しますねー。動かないでくださいねー」
「すいません、衣装、こっちでー」

 様々な声が飛び交う中、監督がこう声をかける。

「じゃ、今日は打ち入りなんで、出演者の方々は移動してくださーい。スタッフも適当なところで撤収ねー!」

 そんな明るい声に、スタッフ、出演者一同が沸き立った。


32: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/03(日) 00:19:34.77 ID:vEIeRpyno

「えー、本来は撮影前に行うべきでしたが、みなさんのスケジュールの都合もあり、このように第一話撮影後となってしまいましたが、
これもよい機会と思い、皆で実際の撮影に関することも含めまして、お話しいただければと……」

 番組プロデューサーの挨拶が一通り終わって、室内では、賑やかに乾杯の音が響く。

 ゴールデンタイムの連続ドラマの打ち入りにしては、狭いところと言えるかもしれない。

 だが、そのレストランのパーティルームはビル内の専用エレベーターから入ることができる。
 そのため、アイドルやタレントなど、むやみと顔を見られたくない面々の集合場所として重宝されていた。

 今回は、料理や飲み物も事前に持ち込まれ、部外者に気を遣わずすごせるように配慮されている。

 その中で、仕事で来ることのできないあずさ、伊織、亜美、真美の四人とそれに同道するプロデューサーを除いた765プロメンバーは、
撮影スタッフたちと話に花を咲かせていた。

「いやー、響ちゃんも貴音ちゃんもすごいね。ワイヤーアクションなんて慣れてないだろうに」
「へへーっ」
「身体能力には少々自信がありますので」

 放映局のディレクターが褒めるのに、響が照れたように笑い、貴音は悠然と受け止める。

 ディレクターはそのまま反対側の律子に水を向けた。

「でも、アイドルなのにすごいよね。スタント使わずに」
「ははっ、たしかに。でも……」

 元トップアイドルで現在は765プロのプロデューサーを勤める律子は、その言葉に眼鏡をきらめかせて応じる。

 彼女もそうだが、今回のドラマでは、現実の彼女たちと微妙に重なりつつ、細かいところでは異なるキャラクター付けがなされている。
 そのわずかな現実感が非現実感を増すのだとはスタッフ側の弁であった。


33: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/03(日) 00:20:50.37 ID:vEIeRpyno

「現実味のあるドラマじゃないから出せるんですよ」
「っていうと?」
「ほら、不思議な力の部分ってCG処理じゃないですか」
「ああ、そう言われりゃそうか。殴るところとかもCG入れるから、当てるほど近づける必要もないか」

 なるほどなー、とうなずくディレクター。その様子を、律子はおもしろそうに眺めていた。

「それに……って、あら」

 卓上に置いておいたスマートホンの画面が明滅している。
 律子はそれをさっと手に取ると画面に映し出された相手の名前を見て、ディレクターに頭を下げた。

「すいません、うちの三浦から電話みたいです」
「あ、あずさちゃん? あずさちゃんにもよろしく言っておいてよー」
「はい、ありがとうございます」

 律子は言いながら人の間を通って、部屋の隅へと向かう。

 しばらくそこで会話をしていた律子だが、電話を切って席に戻る途中、貴音の後ろに回ったところで、彼女に耳打ちした。

「貴音」


34: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/03(日) 00:22:26.12 ID:vEIeRpyno

「はい」

 静かに応じる貴音。
 彼女は両手を掲げるとぱんぱんと音を鳴らして打ち合わせた。

「皆さん、しばし耳目をお貸し下さいませ」

 なんだなんだと全員の注目が集まったところで、貴音が口笛を吹くように唇をとがらせる。

 そこから、音は出ていないように思えた。
 だが、人の耳が音ととらえられない何かが、聞く者の脳へと侵入する

 そして、かっと貴音の目が光る。

 見つめる者の大半の首が、がっくりと折れた。
 その目はうつろに開き、中には口の端からよだれを垂らしている者もいる。

 いずれも、意識はないように見えた。

 その中で、765メンバーだけが正気を保ち、飲み食いを続けていた。


35: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/03(日) 00:24:34.17 ID:vEIeRpyno

「それで、あずささんたち、なにか掴んだんですか? 律子さん」

 箸を置き、律子に尋ねかけるのは春香。
 食事を続けている者も、律子のほうへ意識を向けているようだった。

「これまでの調べで脚本家以外がシロっていうのはみんな知ってるわよね?」

 異口同音に肯定の言葉が返ってくる。律子は一つうなずいて肩をすくめた。

「結論から言うと、その脚本家が、見事にクロだったみたい」
「クロって言っても……なにをするつもりだったのかしら? こんなドラマをつくって」

 千早が小首を傾げるのに、律子は苦笑いで応じる。

「765を脅すつもりだったようよ。俺はここまで知ってるんだぞ。だからこっちにも利益を回せとね」

「へえ。それで、現実をなぞるようなシナリオなわけだ」
「自分は、あんな暴れん坊じゃないぞ!」
「いや、結構……ねえ?」
「ひどっ!」

 真とそれに抗弁する響の会話に、皆の笑いがはじけた。

 そんな明るい雰囲気の中でも、スタッフたちは皆、惚けたように動かない。

「えっと、そこはあんまり主眼じゃなくて、どっちかというと、私たちの正体とか……」
「みんなの『力』とかだよね?」

 なだめるように言う雪歩と美希。

「そうね。自分の知る限りの情報をちりばめたみたい。ドラマ自体は交渉材料ね。
本来は、ホンを受け取った時点でうちがなにかアクションを起こすと思ってたんでしょうね」

「ところが、765プロは大乗り気。そこで、その人物の目論見からは外れてしまった……こういうことですかね」


36: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/03(日) 00:26:06.15 ID:vEIeRpyno

「そう。それでまたなにかしようとしてたようだけど……。もう意味はないわね」

 春香に答えて結論づけるように律子が言うのに、全体に苦笑じみた雰囲気が生じた。

「あずささんと伊織ちゃんじゃあ、今後、企みようがありませんね」
「どちらが手を下したにせよ、いまや傀儡でしょうからね」

 さらりと恐ろしいことを漏らす雪歩と千早。
 だが、それを否定するような者はいなかった。かえって同意するようにうなずく者が多い。

「さらに背後になにかあるか、これから探るようだけど。……ま、ひとまずは安心していいわ」

「では、宴を再開いたしますか?」
「うーん。それは……どうしようかしら」

 貴音が確認するように問うのに、律子は皆の顔を見回す。

「ここの局の人って、酔っ払うと同じ事ずっと繰り返すんだよなあ」
「それに、帰り際に他に誘うのがちょっとしつこかったり……」
「あー、あるね。えっちぃんだよね」

 アイドルたちが口々に愚痴を漏らすのに、律子は貴音に目配せする。
 貴音は艶然とほほえんで応じた。

「では、自分たちはここで楽しく宴会をしていた、と心に刻み込みましょう。わたくしたちは適当なところで帰ったことにでもしておきましょうか」
「お願いね」

 そうして、貴音が再び口笛の形に口をすぼめたところで、皆が立ち上がり、わいわいと動き始めた。


37: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/03(日) 00:27:22.10 ID:vEIeRpyno

「それじゃ、ボクたちは退散しようか」
「お店の人は来ないんだよね? いつも通り」

「アイドルがいるからね。呼ばない限り人は来ないわ。あ、そうだ、やよい。手の着いてない料理は持って帰っていいわよ」
「わーい。ありがとうございますー」

 そして、アイドルたちは姿を消していく。

 窓を開いてそのまま――ビルの一五階だというのに――落下する乱暴な者もいれば、風のように走り去って誰にも姿を見られぬ者もいる。

 最後に貴音が律子と雪歩を抱え、文字通り闇に溶け込むように消え去ると、そこに残る者は誰一人いない。


 残されるのは、目の焦点を外したドラマスタッフたち。
 夢見心地でなにかをぶつぶつ呟いている彼らが意識を取り戻すのは、まだ何時間か先のことであった。


   おしまい


38: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/03(日) 00:28:40.32 ID:vEIeRpyno

以上です。
お読みいただきありがとうございました。


39: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/03(日) 01:10:42.27 ID:KXmQ7/Jmo




40: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/04(月) 00:07:02.06 ID:K2L4/sUCo

長編の第一話って感じだな。
パイロット版か?
アイドル全員の正体とか気になるなあ


41: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/02/04(月) 01:58:18.73 ID:a374+/5Xo

続きが気になる引きですな…乙です!


引用元: 偶像戦線【iM@s×伝奇物語】