1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 20:31:20.13 ID:wZ/Q9GI30

「誕生日おめでとう、雪歩」

ベッドの上で仰向けのまま、呟くように言った。無機質な声だった。

部屋に自分以外の人間は居らず、その声は目覚ましの音に掻き消される。

その日じゃないから。本人の前じゃないから。

寝起きの頭で適当な理由を付け、目覚ましを止めて洗面所に向かう。


2: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 20:41:20.94 ID:wZ/Q9GI30

12月に入り、いよいよ寒さも本格的に厳しくなる時季だった。

乾燥した空気はどうにも体に悪い気がしてならない。事務所の皆は大丈夫だろうか、などと思考を巡らして眠気を紛らわす。毎朝の事だ。

事務所に着き、朝のミーティングに出席する。先に座っていた後輩から資料を渡され、適当に礼を言ってそれを受け取る。

ミーティングと言ってもそれほど大それたことを行うわけではない。当日の最終的なスケジュールと人数の確認、後は時折挟まれる社長の冗談に苦笑いで返すのが業務内容だ。


今日はミーティングの最後に良い知らせもあった。

今度行われるライブのチケットの売れ行きが好調だと言う。直接俺が関わっているわけではないが、同じ事務所の人間として喜ばない理由も無い。


3: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 20:41:58.64 ID:wZ/Q9GI30

会議終了の合図とともに立ち上がり、外へ出て階段を上る。

後ろで急いで階段を駆け降りる音も聞こえるが、何かあったのだろうか。気にする程では無かったが。

目的の階に着く。「765プロダクション」と書かれたドアを開けると同時にコートを脱ぎ、鞄と一緒にハンガーに掛ける。この一連の動きも手慣れたものだ。

奥に進もうとすると、突然目の前に人影が飛び出した。

「あっ、おっ、おはようございますプロデューサー!」

帽子を深く被ってはいたが、今さら見紛う筈もない。

雪歩だった。軽く挨拶を返して、体を横に逸らす。

「そ、それじゃあ行ってきます!」

彼女は深々と、そして急いで頭を下げ、ドアの向こうに走り去って行った。


4: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 20:52:17.14 ID:wZ/Q9GI30

「…慌ただしいな」

「ほんと、そうですね」

「ああ、おはよう、春香」

ソファには湯呑みを片手に春香が座っていた。

周りを少し見渡した後、向かいに腰掛ける。

「最近、また一段と寒くなってきたな。体調管理は大丈夫か?」

「あ、はい。勿論です!…それとプロデューサーさん、寒いのならお茶淹れましょうか?」

「いや、いいよ。自分でやるから。ありがとう」

立ち上がって給湯室に向かう。

やかんに水を入れる時、流しに湯呑みが2つあるのが見え、

「さっきまで、誰かいたのか?雪歩以外にも」

と春香に訊いた。


5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 20:52:52.05 ID:wZ/Q9GI30

「はい、私と雪歩と響ちゃんの三人で」

「くつろいでたのか」

「くつろぎすぎて、はい…」

遠目に見えるホワイトボードを確認する。

「レッスンか?」

「そう…ですね。朝早く来てちょっとのんびりしてたら、忘れちゃってたみたいで…もう」

春香のふふっ、という笑い声が聞こえる。

と同時に、外から響と雪歩の慌てた声も聞こえた。



茶を淹れ終え、再びソファに座った。

「あ、そういえば小鳥さんはちょっとコンビニにって」

「そうか。それで春香は…午前中に収録だな」

「はい!宜しくお願いしますプロデューサーさん!」

春香が笑顔で頭を下げたので、つられて俺も頭を下げる。


12: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 21:02:36.87 ID:wZ/Q9GI30

「こちらこそ宜しく。…さ、そろそろ準備しようか。音無さんが戻って来次第行こう」

湯呑みを持ってデスクに向かい、資料を整理して鞄に入れる。

一通り確認が済んだところで茶をすすると、思いの外温度が高く、舌を火傷してしまった。

「熱っ…」

「だ、大丈夫ですかプロデューサーさん?」

「ああ平気平気。少し火傷しただけだから…」

「…気を付けて下さいね?」

「了解」

少し冷めるまで待った後、今度は慎重に湯呑みに口を付ける。湯気が視界を曇らせた。

「…不味っ」

久々に飲んだ緑茶の味は、ひどく薄いものだった。


13: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 21:03:07.04 ID:wZ/Q9GI30

「お疲れさまでした!」

春香の快活な声が収録現場に響き渡る。

建物を出て、このまま帰るかどうかを尋ねたところ、事務所に戻りたいと言うのが春香の希望だった。

俺としてもその方が都合が良いので、後部座席に春香を乗せて事務所へ向かう。



「ただいまー!」

春香がドアを開け、俺も続いて中に入る。

「あら、随分早かったわね?予定より30分は早いわ」

バッグを持ったまま奥へ向かうと、声の主である伊織が本を読んでいた。


14: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 21:12:34.48 ID:wZ/Q9GI30

「えへへ。今日は調子がすっごい良くてね!それで…」

二人の楽しげな会話を横目にスケジュールを再度確認する。

「…おっと。次は伊織のダンスレッスンだな、丁度良い」

「あら、アンタが担当?そうね。お手柔らかにしてあげるわ」

「言ってくれるな」

ふふん、と伊織は上機嫌で鼻を鳴らすと、置いてあったバッグを片手に立ち上がる。

「30分くらい早く行っても問題無いわよね」

「ああ、まあ大丈夫だろう。もう行くのか?」

「じっとしてるのも寒くて適わないわ」

車で待ってるから、とドアに一直線に向かう伊織の後ろ姿を見ながら、ソファからおもむろに立ち上がる。


15: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 21:13:07.58 ID:wZ/Q9GI30

765プロの経営方針は『少数精鋭』である。

社長の選考基準の結果がその言葉であるとも言える。

所属アイドルは十数人。俺を含むその他スタッフの数も、最近ようやく二桁に達しかけている所だ。

「久しぶりかしら?アンタとは」助手席の伊織が言う。

「二週間ぶりって所かな。1対1だったのはもっと前だ」

付添うアイドルはローテーションで決まる訳でもなく、空いてる者をアイドルの予定に合わせて決めて行く形である。だから、短い間に何度も同じ子に当たる場合もあれば、このように顔を合わせるのすら久々という場合もある。

特別な事情やユニットを担当するでもしない限り、こちら側に選択権と言うものは無かった。


16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 21:22:36.18 ID:wZ/Q9GI30

「そういや、今日は竜宮じゃないのな」

「…あずさと亜美は二人だけで仕事。勿論律子もね。まったく、この伊織ちゃんを置いてけぼりなんて信じられないわ!」

「そうなのか…。まあ、律子にも考えあってのことだろう。さ、着いたぞ」

駐車場に入り、車を停めて鍵を抜く。

ドアを開けると、冷たい空気が車内を通り抜けた。。



「1,2,1,2…」

ラジカセから流れる曲に合わせ、伊織は時に緩やかな、時に難解なステップを踏む。

流石言うだけの事はある。思わず感心の溜息が漏れた。

だが、曲も終わりに差しかかる頃、最後のターンで伊織はふらついてバランスを崩した。

「あっ…とっ…」

そのまま転びそうな勢いだったので、慌てて手で背中を支える。

「大丈夫か?」

「わ、悪いわね」

時計を見やり、「そうだな、少し休憩しようか」と提案した。


17: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 21:23:08.00 ID:wZ/Q9GI30

「しかし伊織は流石だな。ダンスでも細かい所を意識してるのがよく分かる」

「ん、そりゃまあね。律子に散々しごかれたし」

それもそうか。あの律子だ、細かい所こそ厳しいだろう。

「あとは最後のターンか」

「…そうね」

伊織にしては随分殊勝な返事が気になり、その事をさらに追及する。

「何だ、最近多いのか?」

「…まあね。ターンで転びそうになることは多いかも」

「そうか…」

身体を曲げて伊織の方を向く。

「…あれ?」

「な、何よ」

「ちょっと伊織、そこに立ってみてくれないか」


19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 21:32:35.29 ID:wZ/Q9GI30

「あ、あんまジロジロ見るんじゃないわよ」

「ふむ…」

頭の高さを見て、疑念は確信に変わった。

「なあ伊織」

「何?」

「お前、背伸びたな」

事務所で立ち上がった姿を見た時に薄々感じてはいたが、彼女の背は数ヶ月前よりも格段に伸びていた。

「…そう?」

「ああ、伸びたよ。今度測ってみたらいい。…身長が伸びれば手足も伸びる。ターンが上手く出来なくなるのもまあ、当然だろうな」

「そう…なの?」

「そうだとも。…ただ女子の成長期って本来もっと前に来る筈なんだがな。個人差とは言うが良く分からん」

この答えを聞いて、伊織は安堵と戸惑いの入り混じった表情で俺を見ていた。


20: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 21:33:07.48 ID:wZ/Q9GI30

「…それで、何か解決策とか無いのかしら」

「無いな」

彼女の顔は分かり易い程に失望に変わった。俺に責任は無いはずなのだが。

「仕方がないだろう、そういうものなんだ。ただそれに不安を覚える必要はどこにもないさ。今は複雑な動きよりも、安定した動きを目指して行こう」

溜息を一つついて、伊織は大きく伸びをする。

背が伸びたせいか、いつもの髪を掻き分ける仕草すら、妙に大人っぽく見えた。

一呼吸置いた後、「…成長するって、中々大変なことなのね」と、心なしか嬉しそうに彼女は言った。

「そうだな」

思わず言葉が漏れる。

「成長すると、色々変わって…」

「…変わって?」

後に続く言葉は、見つからない。


21: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 21:42:37.20 ID:wZ/Q9GI30

その日の夜だった。

「律子か?」

薄暗い階段を上り、事務所に入ると、机に突っ伏して伸びている横顔が見えた。

聞こえていない筈は無い距離だったが、返事が無い。まさか寝ているのか?

「あ…プロデューサー殿…」

上から見下ろせるほど近づくと、ようやく彼女は顔を上げた。

「寝てたか?」

「…寝てないです」

「良い夢見られたか」

「寝てないですってば」

「よだれ、書類に垂れてるぞ」

「え、嘘」

「嘘だが」

寝起きの律子をからかうのは楽しい。


22: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 21:43:08.08 ID:wZ/Q9GI30

「みっともない所をお見せしました…」

やっとのことで頭の覚醒を取り戻した律子は、車の助手席で肩をすぼめていた。

「随分、新鮮な映像でした」

もう、と呆れと羞恥の混ざった声を発し、彼女は窓の方に顔を向けてしまう。

「まあ、なんだ。お疲れ様」

「…すいません、送って貰っちゃうなんて」

「日の短い季節だしな。このくらいお安い御用だ」


24: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 21:52:38.06 ID:wZ/Q9GI30

しばらく道路を走って数分、最初に信号に捕まったところで俺から口を開いた。

「しかし、今日はそんなにハードなスケジュールだったのか?分担するよう掛け合おうか」

すると律子はいえ、と首を横に振った。

「竜宮は私が初めて担当して、今まで育ててきたユニットですから。責任から逃れる訳にはいきません」

「…そうか」

信号が青に変わり、アクセルを踏む。

「…なんて。ただ、あのメンバーが好きなだけですけど」

幸せそうに笑う律子の声を聞いて、ふと今日の伊織の事が思い出された。

「そういやさ、今日伊織が―――」


26: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 21:53:10.12 ID:wZ/Q9GI30

「やっぱり。あの子、大きくなりましたもんね」

「なんだ、気付いてたのか」

既に彼女の自宅の前には着いてはいたが、車内での会話は続く。

「だから今日、竜宮の仕事から抜けさせてまで、わざわざプロデューサー殿とのレッスンになるように取り計らったんです」

「俺に?なんでまた」

というか、調整出来るのか。

「私が言うより良いかと思いまして。あの子、あなたの事は意外と信頼してるんですよ」

「そうだと良いんだがな」

そうですよ、と笑う律子からは確固たる自信――すなわち、彼女のユニットに対する強い信頼が読み取れ、その事が俺にはとても、とても羨ましかった。


27: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 22:02:38.24 ID:wZ/Q9GI30

「プロデューサーが最初に担当したのって、雪歩でしたよね」

突然の問いに、思わず顔が上がる。

「そうだが、それがどうした」

「スケジュール調整の時に、ちょっと見ちゃいまして」

何をだ、とは訊くだけ無駄なことである気がした。

「…最近、雪歩との仕事が全然無いんですね」

言葉が詰まる。俺は返事をせず、ゆっくり息を吐いた。

一ヶ月。彼女と最後に仕事をしてから、今の今までの日数だ。

「駄目ですよ。あの子、放っとかれてきっと寂しがってますよ」

「放っといてるわけじゃないさ」反射的に出た言葉だった。

「…そう、ですよね。今はただ、そういう時ってだけですよね」

すいませんでした、と律子は頭を下げてドアを開ける。

「雪歩はさ」去ろうとする律子を呼び止めた。「俺じゃなくてもやっていけてるよ。今度、ライブだってあるんだ」

少しの沈黙の後、ドアが閉まる。

こちらに向き直り、俺を見つめる彼女の目には、言いきれない物悲しさがあった。


28: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 22:03:09.65 ID:wZ/Q9GI30

「今日は兄ちゃん?よろしくねー!」

真美が俺の後ろに付く。今日のロケ地は近いので、そのまま歩いて向かう事にした。

「こうして歩いてると、デートみたいですなあ」

「明らかにその気無いよな、お前」

俺は苦笑して歩みを進める。

「しっかし寒いねー最近」

真美の吐く息が白色に変わる。そうだな、と相槌を打ち、横に居る真美の顔を見る。

「…真美も大きくなったよなあ」

「んん?セクハラですかな?」

「身長の話だ」

そうかな?と頭の上に手を置いて笑う彼女は、容姿だけなら立派な『女性』の様だ。

「んっふっふ~?これならスーパーモデルも夢じゃないね!」

「中身は一切変わってないけどな」

隣の少女は、その言葉に頬を膨らませる。


29: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 22:12:38.91 ID:wZ/Q9GI30

真美の仕事中、俺は常に腕時計を見ていた。

今意識を向けなければならないのは真美の事の筈なのに、どうしても時計の針を見ずには居られなかった。そんな自分自身に少し幻滅もした。

理由はただ一つしかない。出来もしないことを求めてしまうのは、俺という人間の性だろうか。



「兄ちゃん!」

いつの間にか、目の前に真美がいた。

「あ、ああ真美か。どうした?休憩か?」

「じゃなくて!もうお仕事終わったよ!」

その時の俺の顔ほど間抜けなものは無かっただろう。目を泳がせ、急いで腕時計を再度見る。

「もう、え、まだ予定より一時間も…」

「頑張っちゃったからね!」

真美は白い歯を見せて笑った。俺はようやく冷静さを取り戻し、

「よく頑張ったな真美。さ、事務所まで送ってくよ」と踵を返した時、真美が俺の手を掴んだ。


30: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 22:13:09.30 ID:wZ/Q9GI30

「兄ちゃん、それでいいの?」

「…何がだ」

「今日、はるるんとひびきんと…ゆきぴょんのライブなんでしょ?」

心臓がばくん、と波を打つ。

「そうだけど、今日はお前との仕事の日…」

「行っていいよ、大丈夫」

一際穏やかな真美の声で、俺は、目が覚めたような感覚を覚えた。

「律子から聞いたのか」

「そう。『余計なお世話かもしれないけど、行ってあげて下さい』って」

真美は長い髪を指に巻きつけ、その指が俺を差す。

「もう最後の方だろうけど、行ってあげたら絶対喜ぶって!」

ありがとう、と礼を言って、急ぎ足で外に向かった。


32: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 22:22:38.70 ID:wZ/Q9GI30

会場に辿り着いた時、体力は既に限界だった。息を荒げながらスタッフの人間に関係者証を見せ、ふらつきながら席へ向かう。

歓声と熱気に包まれた、彼女達が待つ会場の扉を開けた。



怒号にも近い、観客の熱狂。振り続けられるサイリウム。そして、ステージの上の彼女達。見慣れてはいるが、見飽きることのない光景だった。

俺は息をするのも忘れて、ステージの上をただただ見つめる。



声をかけられたのは、全てが終わった後だった。

声の主は俺の後輩――つまり、このライブの発案、担当者だ。

俺なんかと話してるより、早く下に行ってやれ――そう言ったすぐ後の事だった。

皆に会って行きますか?という質問をされたのは。

『行ってあげたら絶対喜ぶって!』という真美の笑顔、そして律子の顔が浮かぶ。

そして最終的に口から出たのは、このような言葉だった。

「…関係無い俺が行くのは無粋だよ。まあ、色々終わったら来てた事くらいは言っといてくれ」

後悔は無かった。ただ、二人に謝りたくて仕方が無かった。


33: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 22:23:10.68 ID:wZ/Q9GI30

「プロデューサーさん」

あれから数日、デスクで書類仕事に励んでいると横から声がした。

「なんでしょうか、音無さん」

いったん手を止め身体を回すと、音無さんと向き合う形になった。

「この前のライブ、行ってあげたんですか?」

「…その話ですか」ため息混じりの声が出る。

「行ってあげたのに、声もかけずに帰ったんですか?」

「全部知ってるじゃないですか」

ははっ、と笑うと音無さんはばつが悪そうに俯いてしまった。

暫くして「んん」と喉を鳴らし、背筋を伸ばして彼女は口を開く。

「プロデューサーさん。頑張った子は、ちゃんと褒めてあげないとだめですよ?」

「俺は少し立ち寄っただけですよ。それに…」

「言い訳無用です!」音無さんのしかめっ面が近くにあった。「今からでも遅くないです!というか、今でも良いですから!」


34: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 22:32:40.49 ID:wZ/Q9GI30

「…今、あの三人居ないですよ」

「あら、そうでした」

俺は再び椅子を回し机に向き直る。頭を仕事に切り替えるのに、さほど時間はかからなかった。

「三人ともお疲れ様のオフですよ。ちゃんとスケジュールは把握しといてくださいね」

「もう、嫌味ですか?」

「…すいません」

こんな軽口を叩いてしまうあたり、少し気が立ってしまっているかもしれない。反省しよう。

「それにスケジュール把握は完璧です、事務員なんですから!昨日だって…」

「…?」

慌てた様子で、こちらから目を逸らす彼女。

「…とにかく、何か言ってあげた方が良いと思います」

一言だけ呟くように言い、それっきり音無さんは口を噤んでしまった。

今日は大事な用事もある。まずはとっとと仕事を終わらせてしまおう。


35: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 22:33:11.69 ID:wZ/Q9GI30

更に数日後。

朝のミーティングが終わった。

階段を上り、目的の階に着いた後、扉を開ける。



「おはようございます、プロデューサー。今日は宜しくお願いします」

「ああ、宜しくな。雪歩」



「久しぶりですね。こうして一緒にお仕事するの」

隣にいる雪歩が静かに笑う。

真美との日と同じく、俺と雪歩は並んで歩道を歩いていた。

「ライブが終わって、色々落ち着いたからかな」

自分で言って墓穴だと気付く。心の中で項垂れた。

が、

「はい…」

雪歩の反応はこれだけだった。表情に変化も見られない。


37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 22:42:48.54 ID:wZ/Q9GI30

どうにも言葉がかけ辛くなってしまい、暫くは押し黙っていたが、一つだけ聞きたいことを思い出し口を開く。

「今日の仕事、動物のレポート番組で…そのな、多分、犬も出てくると思うんだ」

正直、言い出し辛い話だった。雪歩が犬を苦手にしてるのは昔からだ。

流石の彼女もこれには反応し、少しだけ表情を曇らせた。しかしすぐにこちらを向き

「大丈夫です、プロデューサー」

と、落ち着いた声で言った。

心配事が一つ消える。まったく誰だ、この仕事を雪歩に入れたのは。



問題が起こったのは、現場に着いてすぐの事だった。

「動物が届いてない?」

どうやら、収録をする動物を乗せた車が渋滞に捕まり、まだ現場に辿り着いていないようだった。

「ど、どうなるんでしょうか…」

「最悪、このまま中止ってこともあり得るかもしれないな」

不安そうな瞳を下に向け、そのまま雪歩は黙ってしまった。


38: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 22:43:19.58 ID:wZ/Q9GI30

「渋滞の状況は!?」「到着予定時刻は!」「代替案は何か無いのか?」

現場の慌ただしさはピークに達していた。幸いこの後の雪歩のスケジュールには余裕があったのだが、安心して端から見ていられる立場では無い事は分かっていた。無論、雪歩もそうだろう。

「悪い雪歩、俺も手伝ってくる」

そう言い残して現場スタッフの元へ向かう。一人で取り残すのは少し不安だったが、四の五の言っていられない状況であることも確かだ。



数分打ち合わせをして、結局収録の編成を変えることになった。それでも、大幅に終了時間が遅れてしまうことには変わりなかった。

その時、通路側から声がした。

「だから無理なんですって。そこまで遅れると次の現場に支障が出ちゃうんで」

「そこをなんとか…」

ディレクターと思しき人物が頭を下げていたのは、961プロの三人組ユニットであるジュピターだった。出演者一覧の名簿を思い出す。


40: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 22:52:51.70 ID:wZ/Q9GI30

「申し訳ないのですが、こちらにも都合があります。後半の収録の頃には、もう移動してないといけないんです」

「どうかお願いします…このままだと収録が…」

ただひたすら頭を下げるディレクターに3人は一礼し、その場を去ろうとする。

その時だった。

「待って下さい!」

雪歩だった。去ろうとするジュピターを、彼女が制するように立っていた。

「お前は確か…765プロの萩原雪歩」

「は、はい…」

名前を呼ばれ、雪歩の体がビクッと反応する。

「言ってる通りこっちにも都合があんだ。ここには悪いが、最後まで居ることはできねえよ」

淡々とした物言いだった。元々非は向こう側にあるのだから、正論には違いなかった。

「お願いします!」

雪歩が頭を下げる。

「だからな…」

言葉を遮るように、下を向いたまま彼女は呟くように言った。


41: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 22:53:24.68 ID:wZ/Q9GI30

「成功させたいんです…今日だけは、絶対に…」

小さな声であったが、強い意志の籠った言葉だった。気圧されたのか、三人はそれ以上言葉を発しない。

「俺からも、宜しくお願いします」

雪歩の隣に立ち、俺も頭を下げる。

一つ舌打ちが聞こえ、ようやく彼は口を開いた。

「…分かったよ。おっさんに掛け合ってみるわ」

雪歩は顔を上げ、満面の笑みで「ありがとうございます!」と言い、もう一度頭を下げた。俺も後に続く。

横から見える雪歩の顔は、とても逞しく、そして頼もしく見えた。

「…いいって、んなもん」

「あれあれ?冬馬くんもしかして照れちゃってる?」

「うるせえっての」


43: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 23:02:53.29 ID:wZ/Q9GI30

「…ありがとうな、雪歩」

「いえ。私は、私が出来ることをやっただけですから…」

収録が終わり、俺達は二人で休憩用の椅子に腰掛けていた。

「しかし、本当に良かったのか?」

何がですか?と要領を得ない顔の雪歩に言葉を続ける。

「あのまま収録が中止になったら、それはそれで…」

犬に怯える事も無かっただろう、と言葉を続けようとして止める。それは、折角の雪歩の行いを否定する言葉になりかねない。

少し悩んだ表情をした雪歩だったが、暫くして俺に向き直り、このような事を言った。



「…いえ。765プロのアイドルとして、嫌なことから逃げるわけにはいきません」


45: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 23:15:29.11 ID:wZ/Q9GI30

「…」

――ああ。

――この子は、もう…



「それに…」

雪歩は顔を赤らめ、少し俯き気味に言う。

「それに、今日を良い日にしたかったから…」

「そう、だな…」

今日は12月24日。彼女の、雪歩の誕生日だ。


46: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 23:16:09.69 ID:wZ/Q9GI30

雪歩の予定自体には余裕があった。しかし、俺の予定はと言うと、

「すまん雪歩。もう行かなくちゃならないんだ」

「はい。頑張ってくださいね、プロデューサー」

「…ありがとう。今日、雪歩と仕事できて楽しかったよ。またな」

「はい…」



その後の予定は別にアイドルの付き添いでも無い、テレビ局での打ち合わせだった。

すっかり日も落ちようとしている頃それは終わり、疲弊した頭で事務所へ向かう。

扉のある角を曲がろうとしたその時、

「こんばんは、って一応言っておこうかしら?」

「…伊織?」

扉の前には厚着をし、長いマフラーを首に巻きつけた伊織の姿があった。

「お前、なんでここに」

頭に浮かんだ疑問がそのまま口から出た。


48: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 23:25:38.02 ID:wZ/Q9GI30

「あら、それはこっちのセリフよ」

「…どういう意味だ」

俺は少し身構えた。目の前にいるこの少女は、何の目的を持ってここに居るのか。

「この後、予定ないんでしょ?なんで直帰しないのよ。事務所でのクリスマスパーティーだって、今年は明日のはずよ」

「…誰から聞いた?」

「誰でもいいじゃないそんなこと。それより、質問に答えなさいよね」

俺が少しの間黙っていると、先に伊織が口を開いた。

「雪歩でしょ」

その言葉で、疲弊した頭が一気に覚醒した。

「どうして…」

「あんた、雪歩に会いに来たんでしょ?」伊織は表情も変えずに続ける。「雪歩の誕生日に偶然事務所に寄ってみたら、偶然雪歩だけがそこに居て、二人だけで誕生日おめでとう、ってね」

「…」

「そんなロマンチックな事を想像でもしてたわけ?」

はあ、と伊織は息を吐く。


49: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 23:26:09.82 ID:wZ/Q9GI30

「…そうだよ」

やっとのことで言葉を絞り出す。

「どうせ俺は、そんなありもしない事に期待してる男だ」

と、自嘲気味に言った。

「やっぱね」

「…でも、その口ぶりじゃ、雪歩は居ないんだな」

その言葉に、伊織は何も答えない。

身体を半回転させ、足を前に踏み出そうとした。

にひひっ。聞きなれた笑い声が後ろから聞こえた。

俺は、驚きのあまり声を上げそうになる。

「プロデューサー…」

目の前に立っていたのは、紛れもなく。

「…さあ、行きなさい。今、中には誰も居ないわよ」

そうだな。ロマンチックで何が悪い。


51: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 23:35:58.49 ID:wZ/Q9GI30

「伊織ちゃんが、ダンスレッスンの時のプロデューサーの顔が忘れられなくて、それでって」

…あの時か。

「この事務所は皆、お節介焼きだな」

「お節介焼きで、優しいです」

そうに違いない、と二人で笑い合う。

二人しかいない事務所は、今まで何度かあった事ではあったが、特別広く感じた。

「あ、そうです。プロデューサーに、ちょっと言いたいことがあって」

「何だ?」

少し躊躇った様子の雪歩であったが、やがて口を開いた。

「プロデューサー…その、えと、誕生日プレゼント…貰えませんか…?」

意外な言葉だった。躊躇いがちとは言え、こんなことを自分から言い出す雪歩は今までいただろうか。

だが、不思議と違和感は無かった。

「…ああ、あるよ。ほら」

俺はそう言って鞄から包みを取り出す。


52: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 23:36:44.17 ID:wZ/Q9GI30

「まずは新しいジャージだ。雪歩によく似合いそうなのを選んできた。それから…ほら、ちょっと小物かもしれないけど、髪留め。最近少し髪も伸びてきたみたいだし、良かったら使ってくれ」

仕事を早めに終わらせた日にじっくり選んで買ってきたが、いざ渡してみると自分のチョイスは正しかったのかの疑問が湧く。

しかし、そんな心配は無用だったようで、

「ありがとうございます!…絶対、絶対大切にします!」と笑顔で喜んでくれた。

「しかし、雪歩からそういうことを言いだすのは珍しいな」

先ほどから気になっていた事を口に出す。すると雪歩は自分のバッグから袋を取り出し、

「はい。これ、お返しです」

と言って俺に手渡した。

「これは…」

「いつもお世話になってるプロデューサーへ…。一つはマフラーです。もう一つはお菓子。この前響ちゃんと春香ちゃんに教えてもらって、私が作りました」

思わず涙腺が緩む。そういう事か。

「休みの日だったろうに。本当に、皆優しい子だ。ありがとう」

「えへへ…」


54: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 23:47:58.52 ID:wZ/Q9GI30

照れた顔の雪歩を見ていると、もう一つ、言うべき事があると思った。

今、言わなければならない事だった。

「…なあ雪歩」

「はい」

「今まで、ごめん」

「…」

俺の言わんとする事は、雪歩にも分かっていたようだった。

何から話せば良いのか、それは俺にも分からなかった。ただ、伝えなければならない事があるのだ。

「俺は、寂しかったんだと思う」

最初に出た言葉がそれだった。

良い歳した大人の世迷い言だと思って聞いてくれ。そうは言ったが、雪歩は何も答えない。

「昔一緒に仕事したあの雪歩が、変わって行くのが怖かったんだ」

「…」


55: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 23:48:44.94 ID:wZ/Q9GI30

雪歩は依然黙ったまま、俺の話を聞いていた。

「そして何より」俺は既に雪歩に背を向けていた。「それを受け入れられない俺が嫌だった。俺が傍にいると、雪歩の成長の邪魔になるんじゃないかって。そのことが何より怖かった」

頭で考える前に、口だけがひたすら動き続ける。

「だから、雪歩を避けてたんだと思う」

「そんな…」

「…今日の仕事は、正直な話嬉しかったよ。動物との仕事なんて、最初の頃を思い出して」

もう歯止めが効かない。思っていた事が、全て外に引きずり出される。

「…でも、昔の雪歩とは全然違ってた。俺がいなくたって、一人でもやっていけるだけの人間に成長してた」


58: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 23:56:29.21 ID:wZ/Q9GI30

「そんな」

「でも…俺は、昔みたいな雪歩のままで、居てほしかったんだ」

最低な事を言っている自覚はあった。それだけ言って、もう言葉が出なかった。

…その時、不意に、背中に暖かいものを感じた。

「そんな…事、分かってました…」

「雪歩…?」

突然の事態に驚きを隠せず、俺はその場に立ちつくす。

彼女の顔がすぐ後ろにあった。彼女の腕が、俺をしっかりと抱き締めていた。

「だって…」

上擦った声だった。



「だって私も、同じ気持ちでしたから…」


59: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/23(日) 23:58:00.42 ID:wZ/Q9GI30

思わず声が出そうになった。それと同時に、自分の鈍感さを思い知った。

…そうか。そうだったんだな。

俺の頭は、急に冷静に回り出す。

考えてみれば、分からなくは無い事だった。

スケジュールは、その気になれば調整出来る事。

今日、何故雪歩に動物の仕事が入ってきたのかと言う事。

そして、今、普通なら多忙この上ないだろうこの日に、どうして俺は雪歩と一緒に居られるのかと言う事。

「最近のプロデューサーは変でした。まるで、何かが怖いみたいで…」

「…そうだな」

「だけど私も、プロデューサーに、プロデューサーのままで…」

それ以上彼女は何も言わなかった。俺は前に見える雪歩の手を、静かに握った。


60: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/24(月) 00:01:24.50 ID:Nhoh6uKA0

「雪歩は、優しくて、強い子だ」

その事は昔から、何も変わっていなかった。今、それがようやく分かった。

「ありがとう、雪歩。もう不安にさせたりしない。これからもずっと…ずっと宜しくな」

「…はい。もう、安心して下さい。私は、私のままですから…」

この子となら大丈夫だ。そう思うに足る言葉だった。

そして、俺の心にもある言葉が浮かんだ。今なら言える、そんな気がしていた。

身体を回し、雪歩の顔ときちんと向き合って、言った。



「誕生日おめでとう、雪歩」



終わり


61: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/24(月) 00:04:52.36 ID:8sx4FDdn0

ちょうど日付変わるタイミングで終わりか



62: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/24(月) 00:06:53.34 ID:yF16Zu3z0

おつん!
誕生日おめでとう雪歩!


63: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/24(月) 00:13:04.93 ID:Nhoh6uKA0

雪歩誕生日おめでとう!!
アニメ22話みたいに皆でお祝いも良いけど、まあこういうのも
読んで下さった方ありがとうございましたー


64: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/24(月) 00:13:56.05 ID:4PptWsbq0


誕生日おめでとう雪歩!


引用元: 雪歩「君のままで」